「時の記念日」の6月10日、延岡市の城山公園鐘つき堂で「鐘まつり」が開かれた。
同市では1878(明治11)年から141年間にわたり、城山の鐘が市民に時を告げている。その鐘に感謝するとともに、第8代鐘守の日高康彦、真理子さん夫妻の労をねぎらおうと、延岡観光協会が主催して毎年鐘まつりを開いている。
正午ちょうどに日高夫妻が鐘を12回突いた後、延岡観光協会の谷平興二代表理事が「365日1日も休むことなく延岡市民に時を知らせてもらっている日高夫妻に深く感謝する」とねぎらいの言葉をかけ、「城山の時告ぐる鐘の音が、愛してやまないふるさと延岡の元気復活の鐘の音になるよう心から願う」とあいさつした。
来賓を代表し読谷山洋司市長も「この城山の鐘がいつまでも続き、延岡の豊かな歴史、文化、私たちの心がしっかり伝わるよう尽力していく」と話した。
続いて、ふれあいコーラス秋桜のメンバーが、延岡市歌、御本城の鐘、なつかしき城山の鐘の3曲を披露。わかば幼稚園と川中保育園の園児総勢37人が、元気に「時計の歌」を歌って、日高夫妻に「いつも鐘をついてくれてありがとうございます。これからも元気で頑張ってください」とエールを送った。
園児から花束と記念品を受けた日高夫妻は「鐘守としてはまだまだ未熟でご迷惑をかけると思うが、これからも一生懸命鐘を突いていきます」と応えた。
城山の鐘は1878(明治11)年から戦争で中断する1943(昭和18)年ごろまでは、毎日24時間、1時間ごとに鐘守が鐘を突いて時を知らせてきた。日向市東郷町坪谷生まれの歌人若山牧水も旧制・延岡小学校に学び、この鐘に親しんできたことから、「なつかしき 城山の鐘 鳴りいでぬ をさなかりし日 聞きしごとくに」「ふるさとに 帰り来りて まず聞くは かの城山の 時告ぐる鐘」の2首を残した。
初代・鐘守は、旧藩主・内藤政擧(ないとう・まさたか)公の計らいで、稲田藤三郎さんがその任につき、以来、1996(平成8)年8月まで、稲田家が5代にわたって鐘を突き続けた。現在は市の委嘱を受けた鐘守が毎日、午前6時から午後5時までの1日6回、鐘を突いて市民に時を知らせている。日高夫妻は同市北浦町出身で、2年前に鐘守に就任した。